My story

母から与えられたマザーテレサの伝記を手に取り、無償の愛の精神に感銘を受けた幼少期。いつしか周りに感化されながら、好きなことに誇りをもち、自分に与えられた環境で最善を尽くすことができれば、一燈照隅 万燈照国で、きっと良い世の中になると信じ、看護師を目指しました。

念願の看護師職に就いてからは、国立大学病院血液内科、オーストラリアのナーシングホーム、癌専門病院VIP病棟を経て、限りある命の尊さ、家族愛や人との繋がりが人生の最期に与える影響の現実を知りました。

帰国子女でこれからというときに白血病と診断された青年、仕事帰り毎日背中を摩りにくる配偶者に支えられる女性、最期は母国語しか話さなかったがいつも周りは学生で溢れていた名誉教授、亡くなる当日にシャンパンを一口すすり微笑みながら乳児の隣で息を引き取った同世代の女性、と今でもふとしたときに思い出す様々な人生の最期のストーリーに寄り添わせていただきました。

その頃から、「限りある人生、その選択に後悔はないか」と、心のどこかで常に自分に問いかけながら生きてきたところがあります。

結婚後間もなく、アメリカ人夫の仕事の関係で、ワシントンDC駐在。看護師・保健師の資格取得後、看護師一本で働いてきた私の未知なる世界、専業主婦生活が始まりました。当時、私を追い詰めた言葉は、「今日はなにするの?」

自営業である両親の元で育った私は、専業主婦の一日の過ごし方が正直わかりませんでした。ただ、元々好奇心旺盛なため、やりたいことを見つけるのにそんなに時間はかからなかったように思います。

主婦仲間との集まりや、ボランティア活動、習い事など自分の興味のあることはとにかく取り組みました。学生時代からずっと通っていた料理教室、陶絵付けに加え、海外で再開した、いけばなや茶道にも夢中に。この頃、おもてなしの機会も増え、人との繋がりが私に与える喜びを噛みしめていました。

その後間もなくコロナ禍で、人に会えず気持ちが沈んでいたとき、今まで全く興味のなかったブログの世界へ足を踏み入れました。自分の書いた記事が、人に喜ばれるということが単純に嬉しかったのです。数年毎に住まいの変わる駐在生活で、こんな私でも家族とどこへ移動しても続けられ、人や社会と繋がっていられるなんて、素敵じゃない、と思い、ワードプレスを始めることにしました。

「日常生活のときめきを通して人と自分に優しくなれる世界」を目指す、「目標のために努力を惜しまず、価値観のために躊躇なく変われる自立した女性、おもてなし好きのおばあちゃんになる!」という、なんとも緩やかなライフプランを掲げる自分の、これは小さな一歩にすぎません。

そしてこれから、私と一緒に国を跨ぎ、成長していくブログなのであります。へへ

最後に、

「瞬きするのも勿体無い」と、いつもじっと優しい眼差しで見つめてくれていた祖母。いくつになっても、魂を磨く努力を怠らないあなたのように生きていきたいと願う孫の私を、きっと今もどこかで、見守ってくれているはずです。Love you.

with my beloved grandma

maimai

2022年7月